落ちこぼれ哲学徒による存在論への不満

 「存在とは何か」という問いの目指すところがよくわからない。

 私がある小動物を見て「これは何?」と尋ねて、「これはハクビシン」という答えを得る場合、「これは何?」と問う時点で、すでに「これ」は私の認識の対象となっている(たとえば体長100cmほどの、細身でしっぽが長く、鼻に白いスジのある生き物として)。

 同様に、「存在とは何か」という問いが生じるとき、すでに「存在」は何らかの仕方で経験されている。結論から言えば、「存在」とは実のところ、事物がもつ「現に・ありありと」感につけられた名前なのではないかと思う。私は、自分にとって机が「現に・ありありと」立ち現れていることをもって「机が存在する」と感じている。

 となると、「存在とは何か」という問いは、「私に対して事物が『現に・ありありと』立ち現れている、この事態とはいったい何か」という問いに変容する。

 たぶんこれを現象学というのだと思う。

 私は、存在を問う哲学の議論のうち、現象学に到達しない種類のものにイマイチ入り込めない。私に言わせれば、机が「現に・ありありと」感じられることと、机が存在することの間には飛躍がある(この机は幻かもしれないし、私は夢を見ているかもしれない)。つまり、この世界が存在するということ自体が一個の信仰である。存在は先験的でも自明でもない。

 むしろ、この世界が私に対して現象することのほうが確固として与えられた前提であり、こちらが本来の思考の出発点だろうと思う。存在より現象を問うべきなのだ。

 ……という考え方をすること自体が、私が世界と関わっている仕方や思考の態度を示しているのかもしれない。たとえば、私の頭のつくりがもともと独我論的であるから存在派ではなく現象派になっているとか、存在派の世界の感じ方が肌感覚でわからないとか、そういうことはありそうだ。

 私はたいへん不勉強で、存在論についても現象学についても、ごく限られた議論しか追えていない。今更こういう問いを出すこと自体が無学の証だという自覚もある。詳しい方がいれば教えていただけるとうれしい。

【創作】深夜のコインランドリーでアジフライをたべる

 深夜のコインランドリーは心が落ち着く。

 眠れない夜、部屋いっぱいに不安が充満して、息ができなくなることがある。自分の家なのに、夜更けには自分のものぐるおしさが牙をむく。壁や天井が迫ってくるような閉塞感。たまらず布団を抜け出し、パジャマの上にコートを羽織り、靴下もはかずに裸足のままスニーカーに足を突っ込んで外へ出る。

 夜風が心地いい。邪気から解放されて、自分の輪郭がほどけていく感じがする。

 家から五分ほど歩くとコンビニがあり、さらにそこから二分でコインランドリーに着く。徒歩圏内でこんな時間にも煌々と明かりがついているのはこの二軒だけだ。

 コンビニに入る。ジャンクフードが食べたかった。客は週刊誌を立ち読みしている男性一人だけだった。この時間だとホットスナックはさすがに売り切れているが、お総菜コーナーを見ると五十円引きのシールのついた唐揚げとアジフライが並んでいて、ラッキー、と思う。アジフライを買って温めてもらう。両手で受け取ったほかほかの袋の温度がうれしい。私はカロリーや油分ではなくぬくもりが欲しかったのかもしれない。その足でコインランドリーに向かう。明かりから明かりへ、光を求めて彷徨う自分は蛾みたいだと思う。

 二十四時間営業のコインランドリーはひっそりとしていた。眩しすぎる白い照明の下に、洗濯機と乾燥機と、プラスチックの硬い椅子が並んでいる。店内は無人だが、誰かの洗濯物が乾燥機にかけられている。こんな時間なのに先客がいるのか。いったん離席していて、乾燥が終わったころに回収に戻ってくるつもりだろうか。

 私の目当てはスニーカー用の洗濯乾燥機だ。

 履いてきた靴を洗濯機に入れ、洗剤とコインを投入してスイッチを入れる。裸足に床がひんやり冷たい。耳慣れた機械音が始まったのを確認して、つま先立ちで椅子まで移動する。床はあまり清潔ではない気がするので、足が床につかないよう椅子に深く腰かけた。

 さて。洗濯と乾燥の時間を合わせて五十分間、靴を履いていない私はコインランドリーの外に出ることができない。先客の乾燥機と自分の洗濯機と、二つの規則的な機械音が別々の周期で響いている。床から浮かせた足をぶらぶらさせながら、アジフライの袋を手に取った。まだじんわりと温かい。うれしい。一口かじるといかにも魚という感じの風味が広がって、ああ幸せだ、と思う。なんなら揚げたてよりおいしい気がする。夜中、こうして一人で食べる揚げ物は最高に私を満たしてくれる。

 アジフライに夢中になっていて、いつの間にか機械音が一つになっていたことに気づかなかった。男性がひとり入店してきて、あ、と思う。さっきコンビニで週刊誌を読んでいた人だ。この人もコインランドリーの民だったのか。男性は裸足で魚をむさぼる私を一瞥して、しかしあまり興味を示さず、自分の洗濯物を取り出してさっさと去っていった。大きな羽毛布団だった。男性の両腕に抱えられた布団のほかほかの温度を一瞬想像して、いいなあと思った。

 アジフライを食べ終えて、ひと息ついた。おいしかった。ついでだからカップラーメンも買ってくればよかったか。いや、さすがにコインランドリーでカップラーメンは非常識だ。深夜にパジャマで外を徘徊しておきながら、変なところで道徳心が働く。

 Twitterを開いて「コインランドリーなう」と投稿すると、すぐに「いいね」の通知が来た。いつも夜更かしをしているフォロワーからのリアクションだった。この時間のTwitterは情報共有より何気ないつぶやきに使われる傾向があり、起きているメンバーもほとんど固定されているから、談話室のような風情がある。

 持ってきた詩集を開いた。詩を読むのには場所が重要だと思う。電車内で読んではいけない。電車のガタンゴトンは速くて、文字を追うのに気が急いてしまう。ああいう場所は情報を摂取するための読書、たとえば新書を読むのに向く。コインランドリーは時間の流れがゆっくりだ。洗濯機ののんびりした機械音を聞きながら活字を眺める。心の中で詩句を唱える。ほかに誰もいないのだから小声で音読してしまってもいい。ゆっくりゆっくり読む。呼吸も次第にゆっくりになる。

 ピーピーという音で我に返った。乾燥機の終わりの合図だ。スニーカーを手に取ると、洗う前に比べて心なしか汚れが落ちている気もするが、あまり変わっていない気もする。裸足の足を突っ込む。ほかほかする。きれいであることよりも温かいことのほうが私にとっては重要だ。

 これでもう、あの部屋に帰っても大丈夫だ。今夜は安心して眠れる。明け方と言ってもいい時間だが、だんだん日の出が遅くなってきているから、まだ外はひんやりと暗いままだ。

 家に帰っても足元はまだ温かかった。コインランドリーとアジフライと詩集があるから、私はこれからも生きていける、そんなことを思って布団にもぐると、今度はすんなりと眠りに落ちた。

 

※飲食禁止のコインランドリーもあります!

読書感想文は書けなくてよい(20210510 箇条書き日記)

 小学生が本を読んでも何の感想も抱かなくて当然だし、抱く必要もない、という話をします。なんなら私は高校生まで何の感想も抱かなかった。

 

・読書感想文の課題図書となる児童書では、しばしば物語のなかの子どもが何かしら特別な体験をして、何かしらの教訓に行きつく。たとえば家族の温かさや、友情のかけがえのなさを知る。あるいは殊勝に、命を大切にしようとか、人の役に立つことをしようとか、地球の環境を守ろうとか決意する。

・こういう他人の物語を読んで、自分にあてはめて類推したり内省したりする高度な能力が、小学生に備わっているだろうか。というか、備わっていないといけないだろうか。

 ・彼らにはまだ、周囲の人々のなかでの自分の位置づけさえ、おぼろげにしか把握できていないのではないか。家族や友人の大切さを身に沁みて感じたり、ましてそれを言葉にしたりするのは、ずっと後の話だ。命の大切さは、生き死ににふれた個人的な体験がなければピンとこなくて当然だし、人間としての道徳とか責任の話もやはり難しい。そもそも人間としての責任を子どもが背負う必要なんてない、と私などは思ってしまう。

・つまるところ、彼らは感想を語るには経験値が低すぎる。自己や世界を記述する以前に、自己のことも世界のことも、まだまだわかっていないのだ。

 

 ・子どもは世界にふれはじめてまもない。小学生はもちろん、程度の差はあれ中高生もそうだ。子どもが物語にふれるのは、幼児が公園で犬や草花にふれるようなものだ。

・幼児が犬にふれて感想を抱くだろうか。抱かなくて当然だし、抱く必要もないだろう。彼らはまだ、目の前に開かれた世界をただ享受し、吸収するばかりの存在だ。

・子どもの読書も同じだ。感想なんて抱かなくて当然だし、抱く必要もない。「すごかった」「おもしろかった」「つまらなかった」「よくわからなかった」くらいしか出てこなくても何の問題もない。自分が世界から受け取ったものを言葉にできなくても、受け取ったという事実が損なわれることはない。彼らが受け取ったものは、間違いなく彼らの内に堆積している。

 

 ・私はこの文章を、自分に宛てて書いている。「自分が世界から受け取ったものを言葉にできなくても、受け取ったという事実が損なわれることはない」。これを宣言するのに、私は10年くらいかかった。感想文が何も書けないということは自分は何も感じていないのだと解釈して、共感性の低さや情緒の乏しさをひそかに恥じていた。

・ところが18歳を過ぎたころから、本や映画の感想が勝手に出てくるようになった。何が起きたのかは自分でもよくわからない。自己のことや世界のことが多少わかってきて、語る言葉を得たのかもしれない。あるいは読書感想文の苦役から解放されたからか?

・振り返れば、読書感想文が書けないからといって自分の感性を疑う必要はまったくなかった。いまならわかる。私が受け取ったものは、間違いなく私の内に堆積している。

ラムネで酸素検知剤を還元させる(zgkzwのわくわくラボ)

きっかけ

お菓子に封入されていた脱酸素剤に「サンソチェッカー」(酸素検知剤)がついていた。密封状態ではピンク色だが、開封すると空気にふれてみるみる青色に変化する。

目の前で色が変わっていくのがおもしろくて、昔からよく眺めていた。これはどういう仕組みなのだろう。

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開封前はピンク色だが、開封後は青色

 

調べたこと

 

特許情報によれば,市販されている酸素検知剤の多くは,酸化型で青色,還元型で無色になるメチレンブルーなどの酸化還元色素および還元剤を主成分として,それらを層状化合物やシリカなどに担持・分散する,水溶液内で紙に含浸する,あるいはインキにして塗布または印刷するなどの手法で作製されている。

紙の中に分散したメチレンブルーの分光学的特性およびその酸素検知剤への応用

 

酸素検知剤はメチレンブルーという物質でできていて、これが酸素と結びつくことで青く変化するようだ。さらに調べると、メチレンブルーの酸化還元反応の実験がヒットした。

 

メチレンブルーの酸化と還元 (*)|化学実験|文系学生実験|教育プロジェクト|慶應義塾大学 自然科学研究教育センター

(文系学生実験というところに親しみがわいた。リンク先のいちばん下に掲載されている「実験テキスト」のPDFをおもに参考にした。)

 

メチレンブルーはグルコースで還元できる。つまり、空気にふれてピンクから青になった酸素検知剤、これを酸素から切り離して、ふたたびピンクに戻すことができるらしい。夢がある。

グルコースの別名はブドウ糖ブドウ糖といえばラムネだ! 森永ラムネの原材料はほぼブドウ糖だ。そしてラムネなら箱買いしたのが手元にたくさんある。やってみよう。

 

仮説

青くなった酸素検知剤をラムネ溶液に浸けたら、ピンクに戻るのではないか。

 

方法

1.脱酸素剤を解剖して、酸素検知剤をとりだす。

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2.森永ラムネ1粒を細かく砕く。

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白い粉

 

3.水10mlと混ぜてラムネ溶液をつくる。

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ジプロックごとお湯に浸して温めながら溶かした

 

4.ふつうの水とラムネ溶液にそれぞれ酸素検知剤を入れ、密封してよく振る。振ると反応が早まるらしい。

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ふつうの水に入れたほうの写真を撮り忘れてしまった。不覚。最初はどちらも同じような青色だった

 

5.3時間待つ。酸素にふれて青くなるときはすぐだが、酸素が抜けてピンクに戻るのには数時間かかるようだ。

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酸素検知剤「エージレスアイ」 | 事業・製品 | 三菱ガス化学株式会社

 

結果 

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左がラムネ溶液、右が水

様子が違う!

 

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酸素検知剤の色だけ見ると、ラムネ溶液のほうが明らかにピンク色に変化している。すごい。仮説のとおり、ラムネに含まれるグルコースでメチレンブルーの還元反応が起きたようにみえる。

 

ただ、ラムネ溶液のほうは液がなんだか青い。単に青インクが溶け出して脱色した結果ピンクになった、とも解釈できる。でも、水には溶けないインクがラムネ溶液には溶ける……ということはないはずだ……。この理由はよくわからない(思いつく方がいたら教えてください)。 

 

まとめ

還元反応に成功したといえるかどうかは微妙だが、酸素検知剤の色に差が生じたことで一応満足のいく結果にはなった。というか、水とラムネ溶液で違う結果になったこと自体が愉快だった。ラムネの量も水の量もいい加減だし、そもそも化学物質や実験器具での実験を自宅で再現できると思わなかった。何事も思いついたらやってみるものだ。

プールと泡沫の生命観

 図1は、わたしが生と死について抱いているイメージを描いたものである。

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 すべての生命は互いに関わりあっており、全体でひとつの大きなシステム(「大きな生命」)をつくっている。わたしや猫やカマキリや細菌のような個々の生命はそこから発生し、死によってそこへ還っていく。「大きな生命」がプールだとすると、わたしという存在は、不安定に揺らぐ水面からふと切り離されて輪郭を得た泡沫にすぎない。個別の存在として自分自身の輪郭を維持するだけの力を失えばふたたびプールに沈み、水中を流動しながらほかのあらゆる生命と関係を結びつづける。

 こうした生命観を持って、わたしは以前ほど死を恐れなくなった。自己を世界と独立した存在ととらえれば、自らの意思と無関係に与えられた生は理不尽で心細く、いずれ強制的に訪れる死は得体が知れず恐ろしいものに感じられる。でも、死は、生きている者たちの世界との断絶を意味するものではない。死者もまた他者の生命を支えながら「大きな生命」のなかで生きつづけている。わたしの生命は無数の過去の生命に支えられて成り立っているし、わたしの生命のあとにも膨大な生命が積み重なっていくだろう。こうした広いつながりの内側に自己の生命を位置づけてみれば、少しは心穏やかに生きられるように思う。

脳みそが高校生に戻っていた間のこと

 10月4日の夕方、突如として脳みそが高校生に戻ってしまい、翌5日の午後まで大学生としての現実感を回復できなかった。非常に衝撃的な体験だったため一部始終を記録しておく。

 その日は大学の授業のあとで塾講師のアルバイトに出ていた。18時過ぎに指導を終えて外へ出たとき、濃い青色の空に目を奪われ、直後に強い離人感に襲われて立ち尽くした。身体の実感が麻痺してしまって感情が働かない。自分が自分ではない感じがする。これからどこへ行けばいいかわからない。

 ひとまず道端に腰かけて、やがて記憶の異常に気がついた。塾に来る以前の一日を自分がどう過ごしたかわからなくなっていた。必死に頭をひねって、朝8時ごろ自宅でトーストを食べたこと、午後にフランス語の授業に出たこと、マクドナルドでアイスティーを注文したこと、をばらばらに思い出したが、一貫した記憶としての実感は得られなかった*1。午前中のできごとや昼食の記憶は結局出てこなかった。同時になんとなく帰る場所をなくしたような、二度と家に帰らなくていいような気がした。

 ふと携帯電話で時刻を確かめると18時45分だった。しまった、授業をすっぽかしてしまった。今日は木曜日だから18時半から予備校で英語の授業があるはずだった。今から行っても到底間に合わない。先生はきっと私の無断欠席を心配しているだろう。思えばずいぶん長いこと先生に会っていない。

 この瞬間、私は脳内で高校3年生に戻っていた。受験勉強は大詰めにさしかかり、学校は少し前から冬休みに入っていた。そしてちょうど家庭環境が修羅場を迎えていた。2017年12月の最終週の木曜日だった。

 受験勉強をほったらかしにして大学に通ってアルバイトまでして、私は何をやっているんだろうと思った。予備校に欠席の謝罪の電話を入れなければいけないし、明日は朝から自習室で勉強して夕方の日本史の授業に出なければいけない。でも携帯の電話帳からはすでに予備校の連絡先が削除されていて、私はもう予備校の生徒ではなかった。当時お世話になっていた英語の先生が今年になって塾講師の仕事を辞めたことも知っていた。私が大学生活の幻想を見ている間に何もかもが変わってしまって、今更戻ろうとしても受験生には戻れなくなっていた。取り返しのつかないことをしてしまったと途方に暮れた。

  

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(このとき私は脳内にこんな時間軸を描いていた。)

 

 どうすればよいかわからず、もっとも信頼している知人に電話で助けを求めた。 気がついたら高校生になっていたという私の支離滅裂な説明に対して、彼は「いまどこにいるんです?」と鋭く質問し、事態が切迫していないことを確かめたのち「今日はあたたかくして早く寝てください」「明日以降のことは明日考えましょう」と的確な助言を与えてくれた。さすがだった。

 翌朝目が覚めると状況はずいぶん改善していた。どうにかして受験生に戻らなければという切迫感は収まり、代わりに過ぎ去った受験期への喪失感と寂寥感が頭を支配していた。鞄の中には大学の学生証が入っていて、私が無事に第一志望に合格したことを証明していた。大学生になってしまったのならば大学生活をやるしかない。その後もしばらく離人感が続いたが、昼過ぎにはなんとか調子を戻すことができた。

 今回の解離の原因にはひとつ心当たりがある。2017年12月は親との関係がもっとも苦しかった時期だ。当時私は「自分がこんな異常な人間に育ったせいで両親を不幸にしてしまった」という自責的な観念に苛まれていた。こうした認知の歪みは今年に入って解消されつつあったが、ちょうど解離が起きた前夜に発作的に再発し、当日は情緒にかなりの動揺をきたしていた。このことが何らかの防衛機制を引き起こし、時間感覚の混乱をもたらしたとしても不思議ではない。

 脳みそが高校生に戻っている間、ツイッターのアカウントが大きな支えになった。電飾(@zgkzw)のツイートの時間軸は高校生の私と大学生の私を一直線につないでいた。また、高校時代と大学生活の両方から隔絶されても、インターネット上で電飾として振る舞い、発言することに支障はなかった。しばしばリアルを喪失してしまう私のような人間にとって、バーチャルな空間に足場をもつことはとても心強い。

 それにしても今回はちょっとひやひやした。一晩で元に戻って幸運だった。季節の変わり目は安全第一で乗り越えていきたい。

*1:できごとの断片がばらばらに頭に浮かんで徐々に記憶が組み上がる感覚には覚えがある。子供時代の父親の暴力の記憶が昨年蘇ったときもこんなふうだった。これが解離かというような独特の感じだ。

現実を夢から区別する規準は存在するか?

 そもそも現実とは何であるか、というところから考えたい。

 私がいま、自分自身が現実を生きていると確信するときに唯一根拠となるのは、私がこれまで生きてきた過去の記憶と現在との間に断絶がなく連続しているという実感である。だがこの世界も私の記憶も実はたった五分前に構築されたものかもしれないし(世界五分前仮説)、昨夜私が眠りについた世界と今朝目を覚ました世界が同一だという保証もない。私はいま夢を見ているのかもしれないが、仮にそうだとして、この夢から醒めたあとの世界すらもやはり夢や空想のたぐいだという疑いを免れない。

 そう考えると、確固として存在する現実という観念が実は非常に疑わしいものであることに気づく。主体が認識する世界は常に主観でしかありえず、主体から独立した世界の存在を証明することは不可能である。私が現実だと信じているこの世界に、夢から本質的に区別されるような確かさを期待すること自体が無意味なのだ。

 それならば、先にもふれたように、私の主観的な時間軸が過去から現在、そしておそらく未来へと連続性をもって伸びている点、この一点を根拠に、いま私が生きている世界を現実と定義するほかないのではないか。

 私が生きた過去も現在も、本当はすべて夢であるかもしれない。だが、夢かどうかは常に事後的にしか確認できない以上、いまこの世界に過去との整合性があるならばそれは現実であると考える。この一貫した時間軸によってこそ、人間は不確かな世界の内にあって虚無的にも冷笑的にもならず、主体としての自己の実存を肯定して積極的な生を選びとることができるのだから。

 したがって、この問い(「現実を夢から区別する規準は存在するか?」)に対する私の答えは否であるが、一方で仮に私がいま夢を見ているとしても、これこそ私の生きるべき世界であるという点で現実であることに変わりはない。