現実を夢から区別する規準は存在するか?

 そもそも現実とは何であるか、というところから考えたい。

 私がいま、自分自身が現実を生きていると確信するときに唯一根拠となるのは、私がこれまで生きてきた過去の記憶と現在との間に断絶がなく連続しているという実感である。だがこの世界も私の記憶も実はたった五分前に構築されたものかもしれないし(世界五分前仮説)、昨夜私が眠りについた世界と今朝目を覚ました世界が同一だという保証もない。私はいま夢を見ているのかもしれないが、仮にそうだとして、この夢から醒めたあとの世界すらもやはり夢や空想のたぐいだという疑いを免れない。

 そう考えると、確固として存在する現実という観念が実は非常に疑わしいものであることに気づく。主体が認識する世界は常に主観でしかありえず、主体から独立した世界の存在を証明することは不可能である。私が現実だと信じているこの世界に、夢から本質的に区別されるような確かさを期待すること自体が無意味なのだ。

 それならば、先にもふれたように、私の主観的な時間軸が過去から現在、そしておそらく未来へと連続性をもって伸びている点、この一点を根拠に、いま私が生きている世界を現実と定義するほかないのではないか。

 私が生きた過去も現在も、本当はすべて夢であるかもしれない。だが、夢かどうかは常に事後的にしか確認できない以上、いまこの世界に過去との整合性があるならばそれは現実であると考える。この一貫した時間軸によってこそ、人間は不確かな世界の内にあって虚無的にも冷笑的にもならず、主体としての自己の実存を肯定して積極的な生を選びとることができるのだから。

 したがって、この問い(「現実を夢から区別する規準は存在するか?」)に対する私の答えは否であるが、一方で仮に私がいま夢を見ているとしても、これこそ私の生きるべき世界であるという点で現実であることに変わりはない。