脳みそが高校生に戻っていた間のこと

 10月4日の夕方、突如として脳みそが高校生に戻ってしまい、翌5日の午後まで大学生としての現実感を回復できなかった。非常に衝撃的な体験だったため一部始終を記録しておく。

 その日は大学の授業のあとで塾講師のアルバイトに出ていた。18時過ぎに指導を終えて外へ出たとき、濃い青色の空に目を奪われ、直後に強い離人感に襲われて立ち尽くした。身体の実感が麻痺してしまって感情が働かない。自分が自分ではない感じがする。これからどこへ行けばいいかわからない。

 ひとまず道端に腰かけて、やがて記憶の異常に気がついた。塾に来る以前の一日を自分がどう過ごしたかわからなくなっていた。必死に頭をひねって、朝8時ごろ自宅でトーストを食べたこと、午後にフランス語の授業に出たこと、マクドナルドでアイスティーを注文したこと、をばらばらに思い出したが、一貫した記憶としての実感は得られなかった*1。午前中のできごとや昼食の記憶は結局出てこなかった。同時になんとなく帰る場所をなくしたような、二度と家に帰らなくていいような気がした。

 ふと携帯電話で時刻を確かめると18時45分だった。しまった、授業をすっぽかしてしまった。今日は木曜日だから18時半から予備校で英語の授業があるはずだった。今から行っても到底間に合わない。先生はきっと私の無断欠席を心配しているだろう。思えばずいぶん長いこと先生に会っていない。

 この瞬間、私は脳内で高校3年生に戻っていた。受験勉強は大詰めにさしかかり、学校は少し前から冬休みに入っていた。そしてちょうど家庭環境が修羅場を迎えていた。2017年12月の最終週の木曜日だった。

 受験勉強をほったらかしにして大学に通ってアルバイトまでして、私は何をやっているんだろうと思った。予備校に欠席の謝罪の電話を入れなければいけないし、明日は朝から自習室で勉強して夕方の日本史の授業に出なければいけない。でも携帯の電話帳からはすでに予備校の連絡先が削除されていて、私はもう予備校の生徒ではなかった。当時お世話になっていた英語の先生が今年になって塾講師の仕事を辞めたことも知っていた。私が大学生活の幻想を見ている間に何もかもが変わってしまって、今更戻ろうとしても受験生には戻れなくなっていた。取り返しのつかないことをしてしまったと途方に暮れた。

  

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(このとき私は脳内にこんな時間軸を描いていた。)

 

 どうすればよいかわからず、もっとも信頼している知人に電話で助けを求めた。 気がついたら高校生になっていたという私の支離滅裂な説明に対して、彼は「いまどこにいるんです?」と鋭く質問し、事態が切迫していないことを確かめたのち「今日はあたたかくして早く寝てください」「明日以降のことは明日考えましょう」と的確な助言を与えてくれた。さすがだった。

 翌朝目が覚めると状況はずいぶん改善していた。どうにかして受験生に戻らなければという切迫感は収まり、代わりに過ぎ去った受験期への喪失感と寂寥感が頭を支配していた。鞄の中には大学の学生証が入っていて、私が無事に第一志望に合格したことを証明していた。大学生になってしまったのならば大学生活をやるしかない。その後もしばらく離人感が続いたが、昼過ぎにはなんとか調子を戻すことができた。

 今回の解離の原因にはひとつ心当たりがある。2017年12月は親との関係がもっとも苦しかった時期だ。当時私は「自分がこんな異常な人間に育ったせいで両親を不幸にしてしまった」という自責的な観念に苛まれていた。こうした認知の歪みは今年に入って解消されつつあったが、ちょうど解離が起きた前夜に発作的に再発し、当日は情緒にかなりの動揺をきたしていた。このことが何らかの防衛機制を引き起こし、時間感覚の混乱をもたらしたとしても不思議ではない。

 脳みそが高校生に戻っている間、ツイッターのアカウントが大きな支えになった。電飾(@zgkzw)のツイートの時間軸は高校生の私と大学生の私を一直線につないでいた。また、高校時代と大学生活の両方から隔絶されても、インターネット上で電飾として振る舞い、発言することに支障はなかった。しばしばリアルを喪失してしまう私のような人間にとって、バーチャルな空間に足場をもつことはとても心強い。

 それにしても今回はちょっとひやひやした。一晩で元に戻って幸運だった。季節の変わり目は安全第一で乗り越えていきたい。

*1:できごとの断片がばらばらに頭に浮かんで徐々に記憶が組み上がる感覚には覚えがある。子供時代の父親の暴力の記憶が昨年蘇ったときもこんなふうだった。これが解離かというような独特の感じだ。