落ちこぼれ哲学徒による存在論への不満

「存在とは何か」という問いの目指すところがよくわからない。 私がある小動物を見て「これは何?」と尋ねて、「これはハクビシン」という答えを得る場合、「これは何?」と問う時点で、すでに「これ」は私の認識の対象となっている(たとえば体長100cmほど…

【創作】深夜のコインランドリーでアジフライをたべる

深夜のコインランドリーは心が落ち着く。 眠れない夜、部屋いっぱいに不安が充満して、息ができなくなることがある。自分の家なのに、夜更けには自分のものぐるおしさが牙をむく。壁や天井が迫ってくるような閉塞感。たまらず布団を抜け出し、パジャマの上に…

読書感想文は書けなくてよい(20210510 箇条書き日記)

小学生が本を読んでも何の感想も抱かなくて当然だし、抱く必要もない、という話をします。なんなら私は高校生まで何の感想も抱かなかった。 ・読書感想文の課題図書となる児童書では、しばしば物語のなかの子どもが何かしら特別な体験をして、何かしらの教訓…

ラムネで酸素検知剤を還元させる(zgkzwのわくわくラボ)

きっかけ お菓子に封入されていた脱酸素剤に「サンソチェッカー」(酸素検知剤)がついていた。密封状態ではピンク色だが、開封すると空気にふれてみるみる青色に変化する。 目の前で色が変わっていくのがおもしろくて、昔からよく眺めていた。これはどうい…

プールと泡沫の生命観

図1は、わたしが生と死について抱いているイメージを描いたものである。 すべての生命は互いに関わりあっており、全体でひとつの大きなシステム(「大きな生命」)をつくっている。わたしや猫やカマキリや細菌のような個々の生命はそこから発生し、死によっ…

脳みそが高校生に戻っていた間のこと

10月4日の夕方、突如として脳みそが高校生に戻ってしまい、翌5日の午後まで大学生としての現実感を回復できなかった。非常に衝撃的な体験だったため一部始終を記録しておく。 その日は大学の授業のあとで塾講師のアルバイトに出ていた。18時過ぎに指導を終え…

現実を夢から区別する規準は存在するか?

そもそも現実とは何であるか、というところから考えたい。 私がいま、自分自身が現実を生きていると確信するときに唯一根拠となるのは、私がこれまで生きてきた過去の記憶と現在との間に断絶がなく連続しているという実感である。だがこの世界も私の記憶も実…

哲学科志望理由(のようなもの)

私は幼いころから「私が死んだあともこの世界は続くのだろうか」「私以外の人も私と同様に自我を持っているのだろうか」「私が認識している世界と他人が認識している世界は実はまったく別物なのではないか」といった哲学的な疑問について空想することが好き…